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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)12308号 判決 1972年11月30日

原告

森川哲男

右訴訟代理人

山本政喜

被告

中央産業株式会社

右代表者

高橋昭夫

右訴訟代理人

小倉迫子

主文

一  被告は原告に対し、金一一八万七九二二円およびこれに対する昭和四二年一一月二三日以降完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その七を被告、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一賃貸借の成立

原告が昭和四二年二月二五日被告より飲食店経営の目的であることを明示して本件店舗を賃借し、同年三月二六日同店舗においておにぎり屋「山びこ」を開店したことは当事者間に争いがない。

二瑕疵の存在

(一)  本件店舗の床下に屎尿浄化槽の存在することは当事者間に争いがない。

(二) <証拠>を総合すると、本件店舗内には、開店間もない昭和四二年五月上旬より屎尿の臭と覚しき悪臭が漂い始め、さらにその後六月にかけて小蠅が大量に発生して顧客に提供する料理の中にまで混入するという事態も生じたため、これを嫌つた顧客より保健所に申告する等との苦情が出るようになり、六月に入つてからは客足も激減したこと、別紙目録記載建物の地下室では本件店舗の他に三軒のバー、スナック等が営業しており、本件浄化槽はこのうち本件店舗と日下部某が被告より賃借してアングラスナックを経営している店舗にまたがつて位置しているが、悪臭と小蠅の発生は本件店舗内に限られていること、本件店舗内には本件浄化槽のマンホール(内径四五センチメートル)が三箇所存在することが認められる。この認定を左右すべき証拠はない。

また<証拠>によると、本件浄化槽は予傭瀘過装置、第一腐敗槽(一次処理装置)、第二腐敗槽(二次処理装置)、酸化槽、消毒槽を有する構造であることが認められるので、これは昭和四四年五月一日建設省告示第一、七二六号「屎尿浄化槽の構造の指定」に定める腐敗タンク方式中の多室、平面酸化型屎尿浄化槽(前記告示第一の第一号(一)(イ)および(二)(ロ))であることが明らかである。<証拠>によれば、本件店舗は本件浄化槽のうち第一腐敗槽の上に位置していることが認められる。そして、第一腐敗槽は汚水の沈澱分離および消化作用を行なうに過ぎず、その生物酸化作用ならびに塩素接触による滅菌作用はいずれも第二腐敗槽以下において順次行なわれることは前記告示に定めるところであるから(第一の第一号(一)、(二)、(三))、第一腐敗槽における汚水の浄化程度は未だ充分でないことが窺われる。

前認定事実にこれらの点を考え合わせると、本件店舗内の悪臭および小蠅は本件浄化槽のうち第一腐敗槽より発生したものであることが推認される。

(三) 原告が第一次的に主張する本件浄化槽の存在自体が民法五七〇条にいう瑕疵にあたるか否かの点について検討する。もし浄化槽の防臭、防虫構造が完全であり、客に一般的にその存在を知られないように構築されていれば、たまたま浄化槽の真上に飲食店が位置するということを知られても専ら気分的な問題を生ずるにすぎず、その存在自体が飲食店営業に格別具体的支障をおよぼすわけではないものと考えられるから原告の右主張は採用することができない。

なお、原告は本件店舗内に本件浄化槽のマンホールが存在する点を指摘し、これも瑕疵にあたると主張し、証人森川斐子(第一回)は「山びこ」開店後衛生車(バキュームカー)が右マンホールより屎尿の汲取を行なつたことを原告から聞いた旨証言する。前記の如く浄化の未だ充分でない第一腐敗槽から常時汲取を行なうことは通常考えられず、証人佐藤弘は汲取が日下部の店舗内にあるマンホールからなされるのを目撃した旨証言しこれを裏付けているから、右森川の証言をもつて、本件店舗の下に存する第一腐敗槽から常時汲取る必要ありと認めるべきではない。前記告示によれば、浄化槽には本件のような大きさのマンホールを槽内の点検、清掃などの目的のために設置するを要するのであり(前記告示第一の第三号(ロ)参照)、証人佐藤弘の証言によると、ここから汲取を行なつた前例は過去二年半に一度あり、それは槽内の自動排水モーターの故障のためと思われることが認められる。従つて、このような目的と使用回数とのマンホールを設けたからといつて、飲食店経営のためにする本件賃貸借契約の目的物につき瑕疵ありといえないことは勿論である。

(四) しかし、原告が第二次的に主張するとおり、本件店舗における悪臭と小蠅の発生とは本件浄化槽、とくに第一腐敗槽の防臭ならびに防虫構造が不完全であることに起因するものであることは前認定事実より容易に推認されるところであり(前記告示第一の第三号(ハ)、(ニ)参照)、これは食品衛生上のみならず営業政策上も清潔と衛生のイメージを特に要求される飲食店々舗にとつては致命的な欠陥といわなければならない。したがつて、右の欠陥は飲食店経営のためにする本件賃貸借契約の目的物たる本件店舗の瑕疵にあたると解するのが相当である。

(五) 被告は、右悪臭、小蠅等の発生の原因は、原告が行なつた配管工事の不手際によるものと主張するが、<証拠>によれば、原告の依頼した株式会社大八洲工務店は本件店舗内で排水のための配管工事を実施したがその不手際により昭和四二年五月大雨の際本件店舗の浸水を見たと認められるけれども、右不手際が右臭気、小蠅の発生原因であると認定するには足らず、他にこれを認むべき証拠はない。

(六) 被告は、臭気及び小蠅の発生はマンホールの蓋の密閉、防臭マンホールへの取りかえ等の簡単な工事で防止できた旨主張するが、これは本来賃貸人たる被告に於いてなすべきであつて、<証拠>により、原告や同人の妻が悪臭等発生後直ちに善後策を検討したが重油等の注入では足りず、本格的なコンクリート工事を、要することが判明し、被告に同年五月ころから再三修補工事を依頼したにもかかわらず、被告において何らの修補工事を行なつていないことが認められ、この事実によれば右瑕疵の修補は相当の費用と期間とを要するものと推認されるから、被告の右主張は採用できない。

三瑕疵が隠れたものであること等

<証拠>によると、原告が本件賃貸借契約を締結した当時本件店舗内には、床にプラスタイルが敷きつめてあり、マンホールの蓋はその下にかくれていて見えず、プラスタイルも平面で異状なく、かつ古畳、机、箱、古材などが放置されていて現に原告は浄化槽の存在に気づかなかつた事実が認められる。右事実によれば、原告が本件賃貸借契約締結時において、本件店舗の床下に本件浄化槽が存在することを認識することは困難であつたものと推認され、したがつて本件浄化槽の防臭、防虫構造等が充分であるか否かにつき認識することは相当の注意を払つても不可能であつたことが明らかであるから、本件瑕疵は隠れたるものと認められる。

被告は本件賃貸借契約締結に先立ち原告が本件店舗を下見に来た際、本件浄化槽の存在を告知している旨主張し、証人小松操(第一、二回)はこれに添う証言をするが、<証拠判断省略>他に右主張を認めるべき証拠はない。

そして、右瑕疵あるため飲食店経営の目的を達することができないことは前記各説明により明らかである。

四解除の意思表示

原告か、昭和四二年一〇月二〇日被告に到達した内容証明郵便をもつて前記瑕疵の存在により本件賃貸借契約の目的を達し得ないとして契約解除ならびに損害賠償請求の意思表示をなしたことは当事者間に争いなく、前認定事実から明らかなとおり、原告のなした右解除の意思表示は民法五七〇条、五六六条一項、五五九条により有効と解することができる。

五原告の被つた損害

そこで以下本件賃貸借契約解除により原告の被つた損害について判断する。

(一) 権利金

本件賃貸借契約締結の際およびその一週間後に合計七〇万円、その後四月より八月にかけて五回にわたり合計二六万六、一四〇円、総計九六万六、一四〇円の金員が原告より被告に対していずれも権利金として交付されたことは当事者間に争いがない。

ところで、<証拠>によれば、本件賃貸借契約締結の際、原告と被告の間で権利金の額は一応二八〇万円と定められたが、原告には即時右金額を支払う余裕がなかつたため、本件賃貸借成立とともに五〇万円を、同年三月一日二〇万円を各支払うとともに残金二一〇万円については翌三月より家賃(三万三、〇〇〇円)支払いと同時に毎月二五日に五万三、二二八円(割賦払により弁済期が延びたことに伴い日歩二銭六厘の割合による利息を加算した額)宛を賃貸借期間五年に対応して六〇回の分割払い(前記利息を加算して合計三一九万三、六八〇円)とする旨が約定され、前記四月より八月にかけて支払われた二六万六、一四〇円は右分割払いの権利金であることが認められる。<証拠判断省略>

被告は、本件権利金は本件店舗の賃借権譲渡に対する承諾料としての趣旨で交付を受けたものである旨主張し、右主張に添う<証拠>もある。しかし<証拠>によれば、本件賃貸借契約においては本件店舗の賃借権を第三者に譲渡する場合は、改めて被告の承諾を要するとともにいわゆる名義書替料として譲渡価格の一五パーセントを原告より被告に支払わなければならない旨定められている(特記事項二、後段)ことが認められるので、本件権利金に譲渡承諾料的性質が含まれていると解することは困難であり、被告の右主張はにわかに採用できない。

むしろ、前認定のとおり本件権利金はその総額の二割弱が頭金として本件賃貸借契約成立の当初に支払われたものの、残額は家賃とともに賃貸借期間に対応して毎月分割支払われることになつており、しかも本来の家賃三万三、〇〇〇円は当時におけるこの種店舗のそれとしては甚だ低廉であるものと考えられる。このほか、<証拠>によれば、本件賃貸借契約においては権利金の分割支払いにおける二か月分以上の滞納は、家賃とともに無条件解除ならびに即時明渡の過怠約款にかからしめられている(特記事項四、)ことが認められる。これらの事実を併せると、本件権利金は家賃の補充的性格を有するものであり、この権利金中には原告の主張するいわゆる場所的利益の対価(<証拠>によれば本件店舗は西武鉄道池袋線江古田駅南口より一五メートル前後の至近距離に位置するビル内に存することが認められる。)も織り込まれていると解されるが、これも結局は独立してその価格を算出しうるものでなく、家賃の補充額算定の一要素にすぎないと解せられる。

右のとおり、本件権利金が賃料の補充的性格を有するものとすれば、本件においては賃貸借契約成立の日から契約解除による賃貸借終了の日までに対応する部分の支払済権利金は本件賃貸借解除に遡及効のない以上、原告において支払うべきものであつて、これを原告の被つた損害として被告に賠償せしめるのは相当ではなく、支払済権利金全額から右部分を控除した残額を損害と認めるべきである。

そこで、これを計算する。前記のとおり本件賃貸借の約定期間は五年、本件賃貸借契約の成立は昭和四二年二月二五日、終了は同年一〇月二〇日であり、既に支払済の権利金九六万六、一四〇円を含めて原告の支払うべき権利金の総額は元利合計三八九万三、六八〇円である。

ところで右金額中に含まれる権利金元本二八〇万円は家賃の補充的性格を有するので、これを月割にした四万六六六六円に賃貸借の継続期間たる七か月二五日を乗じて得た三六万五五四七円は、原告において前示のとおり支払うべき権利金である。

さらに右権利金中には利息も含まれている。利息総額は三一九万三六八〇円から二一〇万円を控除した残額すなわち一〇九万三六八〇円である。右数額から推察すれば、原告と被告とは権利金元本二八〇万円中本件賃貸借成立と同時に弁済ずみの五〇万円を除いた残金二三〇万円が昭和四七年二月二五日賃貸借期間満了時に一括弁済される場合のこれに対する昭和四二年二月二五日から右満了時までの日歩二銭六厘の割合による利息額を算出し、これと右残金との合算額につき割賦弁済の合意をしたと認められる。従つて利息の現実の利率が日歩二銭六厘を上廻ることは勿論であるが、さりとて右権利金元本中各弁済期に割り振られた金額を認めるに足りる確証もないので、現実の利率を確定できない。よつて昭和四二年三月から九月まで毎月二五日に支払われるべき四万六六六六円および同年一〇月二〇日に支払われるべき三万八八八五円に対する各同年二月二五日から右弁済期までの日歩二銭六厘の割合による利息を算出すれば一万二六七一円となる。これは原告において本件賃貸借契約に従い支払うべき利息であつたことは勿論である。

従つて原告が被告に支払ずみの九六万六一一四〇円から賃借期間中の権利金元本として支払うべき三六万五五四七円とその利息一万二六七一円とを控除した残額五八万七九二二円は、右瑕疵に伴う損害というべく被告においてこれを賠償すべきである。

(二) 逸失利益

<証拠>によれば、「山びこ」開店後間もない昭和四二年四月および五月における同店の収支は、売上額合計六六万三、五二〇円(一か月平均三三万一、七六〇円)、諸経費合計三七万四、五〇二円(一か月平均一八万七、二五一円)、純益合計二八万九、〇一八円(一か月平均一四万四、五〇九円)であつたが、六月に入つてからは前記の如く悪臭と小蠅の発生により客足が減つた結果売上額も二二万六、九七〇円と大幅に減少し(同月の諸経費額は一四万二、〇八三円)、そのため純益も八万四八八七円となり、四、五月の平均に比して六万円弱減少したことが認められる。<証拠判断省略>。

右の事実によれば、「山びこ」の収益は悪臭と小蠅の発生がなかつたならば六月以降も順調に伸び、毎月原告主張の五万円は下らない純益を更にあげ得たものであることが推認できるから、六月より九月までの収益減による逸失利益としての右四カ月分合計二〇万円は原告の被つた損害と認めることができる。

(三)  内部改造費

本件店舗が、本件賃貸借契約締結以前被告の事務室として使用されていたことは当事者間に争いなく、<証拠>によれば、原告は本件店舗賃借直後株式会社大八洲工務店に注文して、本件店舗を飲食店店舗用に改装する目的で、天井、壁の張替・来客用座敷・調理場・照明・配管・小庭園と池の築造、手洗所の改造等を代金六〇万円で施工せしめ、その工事費用としてすでに現金四九万円を支払い、残金の支払いに代えて原告所有の店舗用テーブル等を給付したが、昭和四二年一〇月右賃貸借を解除し被告に本件店荘を明け渡したときの右内部改装部分の残存価格は四〇万円を下らなかつたことが認められる。

従つて右四〇万円は原告がその賃借物であつた本件店舗を返還したときに残存する有益費として被告に償還を求めうべき筋合である。有益費償還請求中これをこえる部分は理由がない。

原告は内部改装のため前記のとおり支出したのであるが、これを使用して営業し収益もあげた以上、右支出の全額をもつて瑕疵による損害とはいい難い。さらにその損害額が少くとも右残存価格四〇万円を上廻るとの証拠はない。従つて損害賠償請求中少くとも四〇万円をこえる部分は理由がない。

六(結論)

よつて、原告の本訴請求は被告に対し金一一八万七九二二円および右債務は商行為たる契約の解除により生じた債務であるからこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四二年一一月二三日以降完済に至るまで商法所定年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを正当として認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(沖野威 佐藤邦夫 大沼容之)

目録<省略>

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